礼儀と出会いの兼ね合い

男女の出会い・・・街中を歩いていると色んな男女をみかけるもので中にはお互いが違う時間を過ごしながら同じ空間に居るという光景も見られるほどだ。

一組のカップルらしき男女を暫く観察していた。仲睦まじく会話を弾ませており実に楽しそうなカップルだった。しかしすぐさま男性のほうがケータイをとりだし何やらメールを作成しだした。

わたしは「おや?」っと思ったのだ。私はその疑問の根本をすぐに見つけ出すことができた。いくら仲がよい関係にあっても「親しき仲にも礼儀あり」それがどんなにシンプルな行動をとる場合でもやはりそこは一言何か言葉を付け加えてほしいもの・・・私が不思議に思ったのはケータイを取り出してメールを打ち出したことではなく、その一言がなかったことにあったのだ。

親しき仲にも・・・

最近の若者の間ではケータイをとりだしてメールを打つなんてことは当たり前の光景なのだろう。しかしどんなに当たり前であってもなにか一言付け足すのとたさないのとでは全く印象が違う。

言葉一つで人の感情は大きく変わる。それがどんな状態でも言えることだ。それなのに理解できていないことが多すぎる。出会いがそこで大きく変わるのも問題だが。

そのカップルにわたしがもとめたものはその礼儀たることだった。出会いを求めている男女にも強く言いたいのだ。本当に良い出会いを求めるならまずは「礼儀」だという事を。どんなにきれいな顔立ちをした女性でも言葉遣いが汚いとそれだけでがっかりするものだし、どんなに高級なスーツをきていても食事の最中のマナーが悪いとどうしてももったいないことになる。それだけは避けて通りたいところだと思っていると自然と礼儀も身に着くようになるのでは。

出会いの空周りだけは避けて

簡単には行かないこともちょっとした行動で、その出会いがとても素敵なものにかわることは必ずある。それでも行動とコミュニケーションの深度は、「いまこの文章を書きつつある私のメカニズムそのものへの批評的自己言及」によって担保されている。

腹立たしいことにどんなに自分がしっかりと礼儀とマナーを身につけていても周囲からやってくる異性はなぜかあんぽんたんばっかりだということに気がつかされるのがオチだという事も考えられる。

そんな時は暫く間何も考えないようにしている方がいいしょう。出会いがないと悩んでいることがもしかしたらそもそもの原因かもしれない。人は悩んでいれば良い結果を出すことさえもできるわけがない。知らない間にtン御んでもないことを考えだしている、そんな時が一番わかりやすい分かれ道なのですから・・・

このページの先頭へ

出会いを学ぶ力