当然の性
人が出会いを求めるなんて当たり前のこと。男性は決まってこう言う。「女性らしくておしとやかで美人で可愛くて一緒にいて癒される人がいい」と。この理想は本当に理想に過ぎない。
理想がどんなに高くてもこれが叶うはずもないという事がわかっているなら理想と言えるであろう。どこからともなくどんなに素晴らしいことがあってもその理想がかなっているどうかを人は判断するだろうか・・・そんなに素晴らしい出会いがあっても人はすぐに人を見失いさらには自分も見失う。
欲望の赴くままに
男女が一緒にいても楽しいと思える瞬間は、瞬間湯沸かし器よりも瞬間だ。何事もはじめが肝心でどんなに大好きな食べ物をめのまえにしてもお腹がいっぱいの状態では決して美味しそうには見えないのだ。
どんなにはじめに会ったときに何かときめくものがあったとしてもその胸の鼓動はやがて落ち着きを取り戻し、それに慣れて行くとどうしても他の欲望が生まれ出てくる。そしてその欲望が叶うと次の欲望が生まれるのだ。これは人間のさがでありしかたのない感情と欲望の流れなのだ・・・
疲れが来たら・・・
男女が出会いを求めるのは何故か。これは根本的には子孫繁栄だと言われていても、我々人間は常日頃から子孫繁栄のことについては語らないしそんな日常は困ったものである。できることなら子孫なんて言い方もしたくない。出会いを求めることは一種の冒険心でもあるのではないかと考えている。
日常生活には楽しみがなくてはなにも生きている心地がしない。そもそものきっかけはこの生きている心地なのだ。男女間の出会いには驚くほどの「新しい感情」が生まれるメカニズムだ。この人ならわたしはうまくいくかもしれない、この女性と一緒にいると僕は果てしない癒しを感じる・・・初めて会う事でそんな感情が生まれるのだ。初めて出会いと言うのはそんなもの。当たり前なのだ。だって、今までにその感情を味わったことがあっても無くてもその女性に因んでは初めての経験と言う事になる。
男女が出会えばその光の屈折は変わる。その屈折の角度が鋭角であればあるほどその瞬間湯沸かし器は瞬時であることが解る。
以上のように、男女が出会いを求めるというのはその瞬間をあたかも新鮮な感脳のように感じたいという欲望から始まるものではないだろうか。