最後に見る物

最終目標には何をみているのか。それは人それぞれ違う。それに何が正しくて何が間違っているのか、人間が対象であればこれが正解だと断言できることが何一つない。出会いを求めてメル友を募集する人の最終結果は恋人を探すことかもしれないし、肉体関係だけを求めているだけかもしれない。それでも相手に出会いを求めている。

出会いを求めて恋活パーティーに参加している人はズバリ恋人を探すことが目的。出会いから恋人までが一駅ならば他にも最終地点があっていいはず。サザエさんにみたような家庭を作ることが最終地点、そのためにあらゆる手段を使って出会いを求める。しかし、どの方法を辿ったとしても、自分を理解できていなければ最終地点をみることさえもわからない、きっと現代にはその見えない空間のなかでももがきながらもがいていることに気づいていない人が多いように思う。

孤独との戦い方

しかしその根本には、孤独にならないためにそこになるべく近づかないために出会いを求めて独りではないことを感じているとしている物が数多くいる。なぜなら孤独はとても怖いものだと人は勘違いをしているからだ。だからと言ってそれなりに物事を難しく考えすぎていると近すぎる孤独の位置が大きく見えてしまい、大きすぎて気づくことができずにいるのだ。

出会った瞬間のシンパシーや直感を感自他と言う経験をした人がいると思う。直観とはなんとも説明しがたい経験となるがきちんと肯定できない分、理論だてて否定することもできない。だからこそ直感が大事だと言っている人、直感を信じてその出会いそのものを信じる人がおり前に進む。

出会いに疲れたら少し休みましょう

メル友だったはずの相手に文字でのやり取りしか体験してないにもかかわらずなぜかちょっとした恋心を抱いたことがあるひともいるだろうその恋心こそが直感に代わるものである。するとその直感に気付いた途端にどんどん恋心が大きくなって行く。

シンパシーとは何か相手に共通を感じること。ちょっとしたことでこころが相手に共鳴する、体のどこかが軽くくすぐられるといった感じ。本人にとってはシンパシーでも相手にとっては些細なことでシンパシーでもなんでも無かったりする。だがその一方通行がやがては広々とした車道に変わるかもしれないのだ。

出会いを求めている人が何を知り、なにを学ぶべきかは人それぞれ。そこに共通しているのが「だれもが人と繋がりたいと思っている」ということにひっくるめられる。一番信じるべきは自分を信じて出会いを学ぶことにあるとされる。

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出会いを学ぶ力